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人間の心理




 

人を傷つけてはならないと
誰もが聞かされて育つと思うの
学校の道徳の授業でも
昔話や例文で学ぶ機会はあるよね

それでも傷つけてしまう事がある

それを知らず知らずにおかしたる罪と言うのだけれど
それは誤解も含まれていて
凄く人の思いというものは様々で
考え方も様々だから
どうしても自分と同じ考えだと思って行動すると
世の中はたくさんの誤解が生まれてしまう

昔の歴史も遡れば、悪意にとられて
斬首なんて場面は沢山あった事がよく分かる

今、義経を観ているのだけれど
源頼朝に誤解されている無念さを綴る手紙を出したりする場面もあるけど
よくよく考えれば、義経の行動は
本当に誤解に取られた物だろうかと疑問も残る

そうするとね
愚かな行動があったとも思えたりします
先走ったり、良かれと思いする行動が裏目に出る場面もあるよね

私とて過去を振り返れば
行動がスピーディー過ぎて
周りの人たちに迷惑どころか
腹を立たせたりする場面も多くあった気がする

若い時は
なんで?と相手の受け取り方に腹を立てたりするのだけれど
いろんな事を経験してくると
迂闊だったな悪いことをしたわと
反省する過去に申し訳なさも抱くのだけれどね

一つの行動をする時に
相手の思いや求める方向を深く読み取れたら
どんなに誤解は生まれないで済んだのにと振り返ったりする過去は沢山ある

人間の素晴らしさは
そんな経験を生かして
明日は一つも誤解を作らない様にしようと思える意志が育つ事なのだと思う

相手に腹を立てたり
もう近づかない様にすることは正しいことの様でいて
とても寂しい狭さに飛び込む気がするわ

歳をとりながら
広く大きく構えていける人生になるとしたら
誤解も恐れず近づいて和解する場面はとても素晴らしいことだと思うのよ

間違いを認める事が勇気も必要とするし
自分を嫌になるのが辛く感じると思うけど
素直になって謝れたら何より自分が楽になる事を若いうちに経験すると良いなと思わない?

だから喧嘩とて、凄く意味があって
小さい時にたくさん気持ちを放ち喧嘩をした経験が多い子は
大きくなると凄く思いやりある人になっていたりする

人間は経験の生き物だと言い切れる所が多いなと周りを見ていて思うのだけれど
人とぶつかり合う事をたくさん経験した人はまろやかになるとは言えない部分も多いかも知れない

それは脳にトラウマや人嫌いという思考過程を作ってしまう事が多いのもなきにしもあらず

どうせ!という諦めと落胆として
刻んでしまうから

思うのだけれど
諦めないで交わりながら自分を成長させようと決めると経験として処理して
傷にせずに済む気がしない?

たくさんの精神科の方々と話してると
被害者的な受け身からメンタルを傷めてしまっている事が度々ある

そんな話の時に私にも同じ様な経験はたくさんあるなと感じて
私は、そんな時どうしたのだろうかと記憶を辿る

何が違ったのか
どこで受け止めた感覚に差があるのか
そんな分析を繰り返していたりするのだけれど

周りにいてくれた人達の助言という
アドバイザー的な方が居てくれて
こんな風に受け止めたら良いのよともらえてた気がするんです

それから
あるある!それよくある事よ

それはあなたの発言にも問題があるわ
と言ってくれる人が居た気がします

人はいつもたくさんの人に囲まれて
たくさんの人の意見を聞いて
たくさんの本当のことを言ってくれる人を必要としながら
成長してゆく事を先ずは子供たちに話すべきだなと思えています

ガード
囲い込み
保護
過干渉
過保護
トラブルを排除する

こんな言葉が広がり
個人の尊厳が優先になり過ぎて
トラブルを経験する機会が少なる事も
人の成長には危険なのかもしれないと思ったりもする

子供の喧嘩に親は出るなと
祖父母が言ってましたが
その意味は深いなと思うのです

ですが今の時代の中で
もっと正しい言葉は
子供の喧嘩には親がアドバイスして
話し合える場面を与える
事である気がします

学校教育現場も
欧米化により裁判や訴訟問題を恐れ
穏便に無難にを選ぶ様になったし
良いか悪いかを叫ぶ傾向になったが

良い悪いを言うよりも
思いを言わせ合わせる事が需要な気がします

聞き上手になりなさいと祖父母が教えた時代は
話を聞くことではなくて
理由を聞ける事だったのかもしれない

普通はこうだからと言う常識すら一晩でひっくり返る世の中だからこそ
思いを聞き合い思いを伝え合い
諦めずわかり合うまで話すと決める意志を育てると良いなと思うのです

話をするとね
辻褄の合わない話や
濁す部分や
誤魔化す部分も互いに良く理解して
もう許そうというあたたかい気持ちも生まれる

ただ人を許しなさいと教える親も多いのですが
許すとは理論ではなくて
許したくなる気持ちが生まれてこそ
心通わせる関係が育つと思うのです

正直にとか
気持ちを言いなさいとか
思った事をそのままとか
あらゆる言葉が親子の中で飛び交いますが

まず訓練として
どう思ったの?と子に親が聞いてあげる場面が最も大事な気がします

人の思いを聴ける様になるには
先ずは自分の思いを表現できる事が重要なポイントだと感じています

人の思いを先ず先に考えて予想して発言をする癖がつく方が危険な気がするのです
自分の気持ちを正直に上手に表現できなくなると
人と関わるのが嫌になってくるからです

もう良いのよ
億劫だから
わかってもらおうとするのが辛くて
こんな言葉を言う方ほど
奥に秘めた孤立と孤独を積み重ねていきます

小さな頃から
自分の本当の気持ちを話せる環境を先ず与える事がどんなに大事な事なのかですね

しりとりみたいに会話をする親子の時間が幼少期にしっかりあると
強い精神力が育つのではないでしょうか

どう思ってこうしたの?
その時どんな気持ちだった?
それを言ったのはどんな気持ちだったから?
それをしてみてどう思った?

この対話法が子供達が生きる事が楽しくなる
すっきりとした言わせてもらえる環境づくり

誘導ではない
自由さを与えた質問の仕方が大事だと思っています

それをして辛かった?
それをして悲しかった?
ではなく
それをしてどう思った?
それを言ってどんな気持ちになった?

この差は大きい気がします

より自由な発言の世界で
人とぶつかり合う事を得意とし免疫をつける
そんな親の方向性により
子供はメンタルを傷める様な我慢のない
喧嘩を他者と経験できるのではなかろうか

自分の思いを考え方を
人に言えない人をなくす社会
これが国際社会になってきた未来の社会性になるだろう

そんな事は言えないからと
正当の様な自分隠しを日本人の謙虚さととり間違えない様にしないとなと思います

言えない人は傷つくのだと教えておくと良いかと思います
言えないと思えば自分を我慢させたことになるのだと
それは自分の魂を縮こまらせた場面なのだと
子供たちに自分の思いを言える訓練を小さな時からしておくと良いかと思います

曇った表情を周りに居るどの人にもさせないで済むには
先ず自分が溌剌とすっきりとあっさりと
思いを伝えられる事が
未来に希望と夢を語れる事なのだと教えておくと良いのではないでしょうか

今足りないのは
人の思いを聞いてあげる事だと思うのです

過去の数年間
当社に新しく入職して来たメンバーたちも最初は傷ついてる方も多かったのです
素直に気持ちを言えないから
馴染むのに時間がかかります

先ず想いを問い続けることから始めるのです
そうすると幼児期の様な、まっさらとした素直さを取り戻してゆきます

そうやって今、傷つき素直に言うことを忘れてしまった人も取り戻せていくのです

精神科看護を通して
精神科の対応なんて視野ではなく
人間として付き合い始める中で
こんな事を書きたくなったので書いてみました

孫が2歳になりました
第一次反抗期に入ってます
嫁がとても深く広い気持ちで
どうしたいの?と連続に聞いてあげる場面を見ていて安心しています

かがやき訪問看護ステーション
〒874-0042 大分県別府市鉄輪東3組-5
TEL 0977-85-8401 FAX 0977-85-8402
完全365日24時間緊急連絡及び対応あり
緊急連絡先【看護】TEL 070-5481-8405

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